「シンジュクゲットーでテロリストの襲撃があった。そのためこちらの道路は封鎖されている。別の道を回れ」
警察官がでんと道路の真ん中に陣取り、マイクを使って次々とやってくる自動車らバイクやらを誘導していた。もちろんわけのわからぬままに警察官が一方的に話しているので運転手たちはせめて状況でも聞こうと車から降り、あちことに指示を出している警察官たちに群がっていっていた。そしてそのせいで余計道がごった返している。ごみごみと道路に車やバイクがたまりこみ、警察は次の仕事はこれだと手短にテロの様子を伝え交通整備に入ろうとしているが周囲から野次馬がやってきてこれもまたうまくいかない。ここ周辺は軽い混乱状態だった。
「うっひゃー。回り道しなきゃだよこれ。学校行けるかなあ?」
警察官が封鎖している道路の後方でつまりに詰まった交通状態を見て彼、リヴァルはゴーグルを外してエンジンを切った。身を乗り出して、封鎖されている道路の先の様子を見ようとするが群がっている人々のせいでよく見えない。
「やっぱり今日はやめたほうがよかったんじゃないか?」
リヴァルの運転するサイドカーに乗っている、漆黒の少年がさらりと呟く。呟かれた声は涼やかで、ヘルメットの下から覗く宝石のように煌いた紫紺のひとみは呆れていた。どの角度からどうみても、万人が認める世にも稀な美少年である彼は隣の友人を見上げて、笑っている。
こほん、とリヴァルが控えめに咳をした。
「だって約束してたし、お金の方が……」
「ったく……でもとりあえず後ろも渋滞してるし、このままじゃ身動きがとれないな」
「………午後の生徒会の会議には間に合うよな? なっ、ルルーシュ」
「さあな」
「副会長だろー!?」
「なるようにしかならないだろう」
「そんな達観して……」
「心配なら会長に電話しておいたらどうだ」
「それで許してくれるわけないだろー!」
明後日予算審議があるじゃないかーと叫ぶ友人を尻目に、少年はきょろきょろと辺りを見回した。
辺りはざわついた野次馬やクラクションを鳴らしまくっているはた迷惑な車、どうすればよいかわからずおろおろ戸惑っている人間ばかり。早く自分のスケジュール通りに進みたいのなら、道路の真ん中で右往左往したりクラクションを鳴らすのではなく、お互いに譲り合いながら警察の誘導に従えばいいではないか。まったく自己中心的な奴らばかりだな、と少年はこころのなかで嘲笑ってみせた。
「テロって、ここは租界の中心部なのに」
「だからこそ、だろう? それに中央道路をこんな非常識に封鎖するほどってことは…テロリストと正面衝突してるのかもな。軍が動いてるんじゃないか?」
「軍か……じゃ、じゃあ、やっぱりここ早く離れなくちゃな。なんかあったらやだし」
「じゃあ、お前の愛車を乗り捨てるか?」
「それは嫌に決まってるだろ」
「それなら黙って警察の指示を待つしかない」
「うえー」
ちぇっと舌打ちして、リヴァルは威勢よく天に向かって伸びをした。天上は曇りのない澄み切った蒼穹である。
交通規制で混乱する最中、ルルーシュは眩しそうに天を仰ぎ見た。
「………軍用機か?」
その蒼穹でぽつんと、ぐらぐらと低空飛行をし始めている、深緑の飛行機がひとつあった。
じいっと眺めていると側部にブリタニア軍の紋章がついている。ブリタニア軍のものだろう。しかし、何故あんな不安定に飛空しているのだろうか…。左翼と右翼が頼りなさげにふらついているのが遠目からでも見えた。
その飛行機に気づいたのはルルーシュだけであった。隣にいるリヴァルは非常に面倒くさそうな顔でシートにもたれかかっているし、周りの人間はそれどころではない。
ぐらりと、その機体が派手に揺れた。そのままゆるゆると降下していく。
! 落ちる!
「んあ? ルルーシュ?」
「ちょっと、様子見てくる」
「は? 待つって言ったのお前のくせに、っておいルルーシュ!」
リヴァルの制止も聞かず被っていたヘルメットを放り投げ、ルルーシュは手早くサイドカーから降りた。そして足早に車の間をすり抜け人ごみにまぎれていった。リヴァルも慌てて彼を追いかけようとしたが、愛車を置いていくわけにもいかず、友人の姿が見えなくなってしまったのでため息をつく以外術を思いつかない。
「相変わらず勝手だなー………ん? あれ、飛行機かな……近いぞ」
きぃん、と耳に突き刺すような高い音が空に伸びている。
* * *
はあはあと息も浅く、ルルーシュは駆けていた。よろよろと廃ビル、廃工場の群れを抜けていく。かくも無残な瓦礫―建築材の鉄線やコンクリート―の山の中を軍用機が向かっているところへと。
途中足がもつれそうになるけれど、気にしていられない。とにかく早く追いつきたかった。見上げたところ、間もなくあの頼りなさげな軍用機は落ちる。
ただこんなに息を弾ませながら走って、追いついて墜落現場を見てそれから先どうすればよいのかわからない。
しかし足は止まらない。
何故そんなに気になる。軍用機ごとき放っておけばいい。
中の人間が心配だとか、そんな陳腐な理由じゃないだろうが。
―この“俺”に限って―
ルルーシュの中の理性が冷ややかに彼に囁く。彼の中の聡い部分が伝えてくれている。墜落時の爆発にでも巻き込まれたらどうする。軍人でもない“ごく普通の一般人”である自分はなす術もないではないか。だんだん租界から離れてきたのか、先ほどから人も見当たらない。あの軍用機が墜落するポイントはあの飛距離から見ると、人―ブリタニア人を指す―が住んでいない瓦礫の町だ。そんなところで怪我をしたら誰も助けに来てはくれない。
計画は―何より愛して止まない、世界で唯一の大切なひと、ナナリーは―
まだ何も事を起こしていないのに。この憎悪と願いを忘れたわけではないのに。
目的を果たさぬまま死ぬつもりはない。“あの日”から胸に秘め続けていた、あの計画を果たさぬまま。彼女の笑顔を見れぬまま。世界がせめて大切なモノたちにとって、優しいものにならぬまま。
けれど、足がどうしても止まってくれないのだ!
彼の中の五感以外の何か、第六感、いわゆるシックスセンス。魂のうちの本能なるモノが彼を叱咤している。理由を必要としていない行動をとらせようとしている。
抗えない、何か。
普段から理性的な事しか起こしてこなかった自分が何たる様。理性の力は生物の本能の前ではかくも無力なものか。
ルルーシュは彼特有の笑みを作った。汗が光る珠となって額に浮かんでいる。肺がやや痙攣していて、呼吸がしづらかった。
…やっぱり、体力はもう少しつけるべきだな。
自分は頭脳専門とはいえ、これ程度で体力がすべて奪われていてはあいつらに立ち向かえない。大事なものを護れない。
ルルーシュがそう考えていたとき、軍用機がビルの影で見えなくなった。彼は瞬間、立ち止まる。そして反射的にそばに埋もれていた瓦礫の影に身を沈めた。
ぼずん、と何かが砕ける鈍い音と爆音がした。大地が振動で揺れ、ルルーシュのすぐ目の前にあったビルがやや揺れ、ぱらぱらと何かの破片が振り落ちてきている。周りの建物も爆発の影響を受け、多少小ぶりのコンクリートの塊たちが石ころのようにあちらこちらに飛び散っていた。ビルが楯になったくれたおかげでルルーシュ側には熱風も襲ってこない。しかし用心のため、彼はしばらくその場を動かなかった。
ビルが爆発のために衝撃に耐え切れず崩れ落ちるようなら、ここから全力で逃げなければならない。ルルーシュが瓦礫の影からちらりと見上げると十階建てほどのビルだったようだ。窓ガラスはすべて割れたのか、窓枠を残すのみで部屋の暗がりを呈している。階下の様子が見えないが、何がしかの破片が落ちただけのようでビルはそれ以上動こうとはしなかった。
落ちた。
その事実を確かめようと、ルルーシュは立ち上がる。やはり緊張しているためか、それともただ単純に疾走したせいか、どくどく脈打つ心臓を抱えながら、彼は瓦礫の影からそろりと姿を現した。
立ち上がってみてみると、ビルの向こうで微かに炎が上がっている様子が伺えた。
ルルーシュは生唾をごくりと飲み込む。
やはり、引き返すべきか。
理性は叫んでいる。
危険だ危険だ引き返せ! 今ならば遅くはない! つまらないスリルを楽しんでいる暇などお前にはない!
しかし、足が震えながらも現場へと向かおうとしている。
だめだ。
抗えない。
頭じゃ危ないばかりでこちらに利益はないとわかっているのに。
俺も随分愚か者だな……
ビルの向こうに墜落したであろう軍用機の様子を見に行こうと彼がよろよろとビルと他の建物との間の隙間へ入ろうとしたときだった。
「そこの学生! 待ちなさい!」
くぐもった、けれど糾弾している鋭い声が突然後方から飛んできた。
人の気配には常人よりは敏感なはずのルルーシュははっと体を強張らせて、その場に足を縫い付けてしまった。どくんと心臓がひどい音を鳴らした。
続いて後方から駆けてくる足音が聞こえる。音は、一人ぶんだけ。
あの口調から察すると、相手は…軍人!
いつの間に…! ちっとも気がつかなかった!
周りを見れば明らかに一般人は立ち入り禁止区域。
下手をすれば。
ぎり、と歯を食いしばらせてルルーシュは体を硬直させたまま動かない。
声はまだ年若い男の声だった。足音もそこまで重くはなく、どちらかというと軽快。
体力に自信はないが、不意をついて応戦してみるか。いや、相手は腐っても軍人。立ち入り禁止区域に侵入したものには厳しい罰則規定がある。下手に刃向かったら後でもっとひどいことになる。それに学生―制服を見れば、あの学園の生徒だと丸分かりだ―と身元もばれており、自分はどうなっても構わないが、ここで反抗すれば妹にまで被害が及ぶ。
やはり来るのではなかった。
落胆と後悔がつきまとったが、ルルーシュはその間も様々な可能性に頭をめぐらせていた。
その間に、ブリタニアの軍人はルルーシュのほうに距離をつめている。すでに彼の真後ろまで来ていた。
観念するしかない。
ルルーシュはそう判断して、表情を作りながらゆっくりとその軍人のほうへ振り返った。
ちなみにどんな表情かといえば、ごく普通の一般人の、状況がよくわからなくなったせいでおどおどした情けない表情である。
「ここは立ち入り禁止区域ですよ! 道路封鎖もされているはずなのに、一般人が何故…」
誠実そうな、声だった。
銃は所持していない。怯える一般人の演技をしながらルルーシュは目を泳がせる振りして、手早く相手の様子を検分した。どころか武器になりそうなものは鉄棒一本のようだ。
―名誉ブリタニア人か―
名誉ブリタニア人。出生がブリタニアではない国の人間がブリタニア人と同等、またある程度の自由と権利を認められた人々のことを指す。名誉ブリタニア人として登録すれば市民権を得られるが、当然ブリタニア人からは蔑まれ、“元日本人”たちからは裏切り者と罵られる、中途半端な存在。ここで名誉ブリタニア人といえば元“日本人”。通称、蔑称ともにイレブン。元“日本”だったこの国がブリタニアに侵略され与えられた名前がエリア11だったから、イレブン。
名誉ブリタニア人は銃火器のたぐいを所持することを許可されていない。その代わり体術などが優れているかもしれない。だが、こちらはブリタニア人。勝手にブリタニア人を処断できまい。
勝機はあるかもしれない、とルルーシュはこころの中でほくそ笑んだ。
「す、すみませんっ…! 俺、立ち入り禁止区域って気づかなくて……軍用機が落ちているのが見えたから、来ちゃったんです。人がいるなら、助けないとと思って…!」
かなり演技をした。ものすごく殊勝な声を出して、悲痛の訴えをして見せた。握りこぶしまで作って。
人命救助を目的としている。見逃してはくれないかもしれないが、情状酌量の余地はあるだろう。
軍まで連れて行かれるかもしれないが、一般人が知らずに紛れ込んでしまうことはある。適当に罰則を受けて―自分の本当の身元が知られぬよう、細心の注意を払い―とっととおさらばしよう。
「…そうでしたか。わかりました」
ちょろいな。
フンと鼻で笑いたくなった気持ちを抑えた。せっかく相手が騙されてくれたのだ。それを台無しにする気はない。
理由を鋭く追及されなかったことに安堵し、ルルーシュはわざと表情をやや明るくさせた。
すると軍人は思案するように手を顎に当てる。
…疑っているな。
まだ気は抜けないかもしれない。
ルルーシュは視線を上や下にやって無実を訴えかける意志を目の前で何かを思案している軍人に向ける。傍から見れば、人命を救おうとして間違って立ち入り禁止区域に入ってしまった馬鹿正直でお人よしな人間に見えるだろう。
ルルーシュがきょどきょどしていると、軍人はようやく結論付けたのかぱっと顔を上げた。前述していないが、軍人は防護マスクをつけているので、どんな表情をしているのかまったくわからない。だからルルーシュは彼が次に何を言うのだろうかと多少覚悟を決めた。
「それだけでしたらあなたはもう帰ってください。ひとりで戻れますか?」
しかし、彼が次に言ったことばは拍子を抜かすものだった。
まさか本当に信じ込むとは思わなかった。自分の演技した人間以上にこいつは馬鹿がつくほどお人よしだ。
仮にも一般人が勝手に軍用機の様子を見ようと立ち入り禁止区域に入ったのだ。いくら人命救助が目的だろうと。調書をとるのが普通だろう。それなのにそれもなしにすまそうとしている。
…いや、もしかしたら、俺を疑ってこのような処断をしたのかもしれない。
冷静なルルーシュは彼の一挙一動、一言一句を思い返す。
そういえば、先ほどからこの軍人はルルーシュを必要以上にじろじろ見つめていないだろうか。…いや、怪しい人間じゃないか確かめるためだから、上から下まで嘗め回すように見られるのは仕方ない。けれど見られているのは、主に、顔、な気がする。気のせいではないのなら。
ルルーシュが彼の立場だったらルルーシュを疑う。普通のブリタニア人ならば、“封鎖されているのに立ち入り禁止区域まで入ってこない”からだ。自分でも後でしまったと思ったが、人命救助なんて簡単にでっちあげられる理由つきで。
ルルーシュに他の目的がないかどうか懐疑しているのかもしれない。ルルーシュを逃した後、後でも追うつもりなのだろう。
すると相手も相当の狸だが。
けれど彼の提案に乗るしか、ルルーシュには他に術はなかった。
「…大丈夫です。戻れます。あの、ご迷惑をおかけしてすみませんでした…」
深々と頭を下げて、ルルーシュはびくびくしながら―もちろん演技だ―元来た道を引き返そうとする。
名誉ブリタニア人は軍での地位もあまり高くない。自分を尾行して調査してみても、大した結果は得られまい。せいぜい羊のようにか弱い一般市民を見せ付けておこう。
そう思い、彼の視線を背中に受けているのを意識しながらルルーシュが歩みを進めたときだった。
「…待って!」
相手の切羽詰るような呼び声に、ルルーシュの心臓がまた嫌な音を立てた。
何だ? 一体、こいつは何がしたい。何がしたいんだ。
嫌、あせるな、知られてはいないんだ。
今の俺は本当にただの一般人じゃないか。
「はい…? ほ、他に何か……」
努めて不安がっている声を出して、ゆっくりとルルーシュは相手を振り返った。
「………あの、君は……」
「……?」
何かを逡巡しているように見える。
軍人は右拳をぎゅっと握り、ルルーシュのほうをまっすぐ見つめている。当たり前のようにルルーシュには彼の表情はわからない。相手が何を考えているのかわからないが、とにかく、ルルーシュを引き止めたかったのだ。
ルルーシュは苛立つこころを抑え、相手が切り出すのを待った。
本当に一体なんだ!
俺が怪しいというなら、さっさと軍に連れて行って取り調べればいいじゃないか!―取り調べられる事態は絶対に避けたい出来事だが、このようにどっちつかずの状況は逆に苛々する―
しかし、やがて意を決したように、軍人はルルーシュを見据えた状態で一歩前へ踏み出してきた。
反射的にルルーシュは下がる。すると、軍人は困ったようにその歩みを止めた。
察するに相手に疑念や敵意はないようだったが、気は抜けない。
「君は………」
何だ。
とっとと言え。
「ルルーシュ……じゃないか?」
息が止まった気がした。
思わず演技も忘れ、ルルーシュは目を見開いていた。
何故、どうして。ルルーシュの頭の中にはそればかりが駆け巡る。
いつの間に知られた。相手は名誉ブリタニア人。いつ自分を知る機会があった。
まさか身分が、ばれたのか。
“俺”を、皇子だと……!?
しかし、ルルーシュは内心の動揺を押し隠し、それ以上うろたえては見せなかった。
この辺りは普段からの冷静な自分と培ってきたポーカーフェイスのおかげだろう。わずかに瞠目して見せたのが手痛い失態だが、うまく誤魔化すしかない。
そうだ。ルルーシュ・ランペルージ。嘘の俺。
いつものように、嘘を作り出せばいいんだ。
呼吸も浅く、ルルーシュは困ったような笑みを作った。
「あの……確かに僕はルルーシュという名前ですが……軍人に知り合いの方はいません。失礼かもしれませんが、人違いではありませんか…?」
「やっぱり! ルルーシュだよね。見た瞬間、ルルーシュじゃないかなあって思ったんだけど…」
瞠目してしまったので、今さらルルーシュではないとは言い張れなかった。だから、一応そこは肯定してみせる。すべてを否定していたら、逆に疑われてしまうことを彼は知っていた。
ルルーシュがやや上目遣いに―相手と同じぐらいの身長だったが―申し訳なさそうに答えたのに、何故か相手は表情が見えないのに、ぱっと明るくなったというのがわかるぐらい声を弾ませて答えた。一気に彼のまとうオーラが明るい色を帯びたのがわかる。
馬鹿かこいつ。
知り合いなんかいないって言ってるだろうが。
「あの、ですから僕に軍人の知り合いは…」
「あ、ごめんね。僕だってわからないよな、これじゃ」
ようやく合点がいったというふうに、軍人は防護マスクに手をかけた。
「僕だよ、ルルーシュ。スザクだよ。枢木スザク」
マスクが外された。くぐもっていた声がクリアになる。
そして現われたのはくるんくるんと四方にはねる栗色の髪、優しい翡翠のひとみ、人懐っこい笑顔。
その整った顔立ちは大人のそれに変わって精悍になってしまったけれど。
けれど。
笑顔、笑顔。
色褪せることのない笑顔が。
ぼやけてしまったけれど、忘れることはけしてなかった、ベルベットのような泣きたいぐらいやさしい思い出が一気に蘇った。
暑い夏の、向日葵。
陽だまりと笑い声、煌く太陽が。
いつでもその陽だまりの中心にいた、あの。
「!! ス、スザク……!?」
ルルーシュが彼の名前を呼ぶと、スザクはひどく嬉しそうに笑んだ。
スザクが彼に近づくために一歩踏み出すと、今度はルルーシュは下がらない。
「覚えていてくれたんだね。久しぶり、ルルーシュ」
昔、向日葵のようだと思った笑顔が変わらずにそこにあった。確かに精悍な顔立ちになってしまったけれど―嫌なわけではない、むしろちょっと見惚れたかもしれない―幼いころの面影が残っている。
不変のものはないといわれているのに、わかっているのに今は、この奇跡に感謝したくなった。
しかし、変わってしまったものは確かに存在していた。
明らかなる違和感、先ほどから背筋にぞわぞわと走っている嫌な戦慄は。
「お、前……何故……」
軍服を着ているんだ。
久しぶり、とか。元気だったか、とか。“今まで何をしていたんだ”とか。
聞きたいことは瞬時に山ほどできたが、ことばに出来たのは今のこの状況のことだった。
枢木スザクは名前からわかるように、イレブン、である。
しかし彼はただのイレブンではない。
ブリタニアと交戦時の日本の、総理大臣枢木玄武の嫡子。
イレブンの中でも、最もブリタニアを恨んでいいはずの、その“日本人”が。
「…うん。僕、名誉ブリタニア人になって…軍に入ってるんだ」
ルルーシュの言いたいことに察しがついて、スザクは苦笑した。その困惑した笑みが、ルルーシュの頭をがつんと殴りつけた。頭が一瞬真っ白になる。
何故だ…!?
だって、スザクは。
スザクは…!
一時の激情にかられたルルーシュは噛み付くようにスザクの胸元を掴む。
「何で…!!」
「えーと……今はゆっくり話せる状況じゃないから、また今度話そう? ここにずっといたら、ルルーシュもお咎め受けちゃうし」
がくがくそのまま揺さぶろうとしたが、スザクの手によって自分の腕がやんわり掴まれる。
至近距離にあるスザクの翡翠のひとみがびっくりして困っている。
何度も前述してあるが、もともと整った顔立ち―優しげな甘い顔立ちだ、女性の母性本能をくすぐるような―育っており、その精悍な顔が一気に迫ったので―自分の行動のせいだが―ルルーシュは虚をつかれたような気がしてぱっと手を放した。
…なんで俺がスザクの顔を久しぶりに見たからって、動揺してるんだ。いや、仕方ないよな、だって本当に久しぶりなんだから。だから驚いたって別に。久しぶりに親友を再会したんだ。驚いたって。
何故か自分に理由付けしながらルルーシュは不承不承に頷いた。
「………わかった」
じゃあ、とスザクが連絡先を教えるための何かを懐から探り始める。おそらく携帯だろうと察して、ルルーシュはポケットから自身の携帯を取り出した。
しかし、その瞬間だった。
凄まじい爆音が響いた。
スザクの表情が強張り、後ろを振り返る。先ほどの軍用機のエネルギー資源、もしくは軍用機の中にあったなにかに引火したのかもしれない。
今度は先ほどの墜落とは比べ物にならないほどの、凄惨な爆発だった。二人を焼き尽くすまでには至らないけれど、熱風が襲ってくる。しかしそれよりも怖ろしいのは。
「っ、あぶない! ルルーシュ!!」
二人のすぐ傍にあった、ルルーシュが最初に見た十階建てのビルがぐらりと揺れる。それはまさに一瞬だった。ルルーシュは気づかなかった。彼らのそばのビルの階層がそのまま彼らのほうへ落ちてくることを、影がルルーシュを覆うまで。
スザクのほうが反応が早かった。彼は大地を蹴った。ルルーシュの手を引き、ビルから離れようとする。
しかし、彼らの疾走よりも早く瓦解は始まっていた。影は伸びて、彼らの行く手を遮っている。
間に合わないとスザクは理解した。
逃げ切れない。
そう判断すると途端にルルーシュの手を引いて、自分の防護マスクをルルーシュに被せ、丁度二人を襲い掛かっているビルの残骸が振り落ちてくる方向と対している瓦礫の隙間に彼を押し込んだ。そしてスザクの身をルルーシュに被せて。
「!?」
ルルーシュがわけもわからずスザクを見上げたとき、振り落ちてくるコンクリートの塊の影と、それと。
「君に、もう一度会えてよかった」
スザクの、笑顔が見えた。
闇が空から襲ってくる。
スザク、と口を動かす前に彼は自分を抱き締めて、それを許さなかった。
爆音と目の奥でちらちらと爆ぜた炎の色とともに、彼の意識はブラックアウトした。