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君の心音が聴こえる * 1

君の心音が聴こえる * 1

「なあ、ルルーシュ。この後どうする?」

 珍しく何の予定もない放課後だった。HRが終わって部活だ何だと浮き足立つ生徒たちが騒がしい教室の中で、怜悧な相貌を持つルルーシュに気軽な声がかかった。
 ルルーシュは慣れた友人の声に穏和な笑みを浮かべ、彼のほうを見た。友人は自分が汚濁の内に身を沈めても、かげりのない爽やかな顔を保っていた。それがルルーシュには何故かどうしようもなく嬉しかった。
 最近の黒の騎士団のことで鬱々としてしまい、満足に眠ることも出来なかったので本当は家に帰ってひとりになりたかったが、友人の変わらぬ笑顔と自分への態度を思い、続くことばも好意的になったのかもしれない。

「ああ…うん。そうだな。お前は何か考えているのか?」
「え!? マジっ? ルルーシュ乗ってくれンの!?」

 うわっとリヴァルが大声をあげて、大げさにおののいた。クラスメイトの何人かがちょっとこちらを注視する。
 それはさすがに驚きすぎだろう、とルルーシュはわざとらしく肩を竦めた。

「何だよ、リヴァル。そんな驚いた顔して」
「えー…だって最近ルルーシュって付き合い悪いしさあ。今日もダメ元で聞いてみたんだぜ?」

 それは黒の騎士団のアジトへ頻繁に足を運んでいたから。
 頭にちらつく薄暗いアジトへの道を思い返すと、自分がぐっと下降してしまう、それを強いてこころの隅に追いやって。

「否定はできないけどな。それで、何だ? おもしろいものでも見つけたのか?」
「そうそう。最近ネットで見つけたゲームなんだけどさ、もうすっげーおもしろくって! 絶対ルルーシュにもやってほしくってさ」
「どうせ、それで誰かに負けたんだろう? それで俺に負かして欲しいんだろう」
「う……」
「まあいいさ。お前と久しく遊んでないしな。お前のところでするか?」
「ルルーシュのパソコンにインストールさせたいからクラブハウス!」
「俺もはまらせるつもりか? ま、いいか。じゃ、行くぞ」

 鞄に教科書類をすべてしまい込み、ルルーシュらは教室を出ようと数人のクラスメイトに「さよなら」「また明日」と言い合いながら、ドアのほうへ向かおうと、ばたばたと大変慌しい足音が聞こえてきた。何だ?とルルーシュとリヴァルが立ち止まると、そこへくせっ毛の強い、飴色の髪を持つ少年が鞄を引っさげて、ぶつかったら相手が転んで怪我してしまいそうなぐらいの勢いで教室へ飛び込んできた。

「あ。スザクじゃん」
「本当だ。軍から直接来たのか?」

 いつでも制服をきちんと着こなしているスザクの制服の第一ボタンは外れていた。

「ル、ルーシュ……リヴァル……」

 ぜえぜえはあはあと聞いているこちらが苦しくなるぐらいの荒い息を繰り返すスザク。俯いて膝に手をつき、しゃがまずに息を整えようと必死に努力している姿がルルーシュの紫に映っていた。ぼたりと肩から鞄がずり落ちた。
 朝の始業のベルが鳴っている最中にそれをするのはいい。寝坊ぐらいして遅刻ギリギリ飛び込んできた者の愚かな行為として認められる。
 だが、今は放課後。今日の分の授業開始のベルなどとうの昔に鳴り終わっていた。
 だのに彼は、何をしているんだろう。それはきっとこの教室にいる、スザクに気づいた全員が持っていた共通の疑念だろう。

「何で全力疾走してきたんだ?」

 ルルーシュは臆面もなく、それを聞いてのけた。少しだけ眉が寄っている。彼の不可解な行為が理解できないようだった。

「……6限、ぐらい、には、間に合、うと、思って、」
「残念だったな。HRだってもう終わってるぞ」

 息も絶え絶えのスザクにぴしゃりとルルーシュは返す。容赦のない言い様にリヴァルはうわあと声をあげた。しかし、スザクはそれに堪えた様子もなく、顔をよろよろあげてへらりとわらってみせる。彼特有の、場の空気を黄金色のバターのようにとろかしてしまうような、笑顔だ。

「……そう、みたいだね……」
「お前がそんなに息が切れるほど走ってくるなんて……本気で全力疾走したんだな。珍しい」
「ああ、スザクって体力ありそうだもんな。やっぱ鍛えてるんでしょ?」
「軍で…それなりに、ね」

 ようやくスザクの息が落ち着いてきた。
 汗に濡れた額を拭いながら、鞄を拾い上げ、二人の友人に顔見せが叶う。渋面のルルーシュのひとみと興味深そうなリヴァルのひとみがスザクに注がれていた。

「軍ってしごきがきつそうだよなー。俺には絶対無理だよ…」
「いや、こいつは昔からの体力馬鹿だ」
「へえ、そうなんだ?」
「ああ。体力底なしの大馬鹿者」

 きっぱりすっぱり切り捨てるルルーシュにスザクはちょっと待ったをかけることにした。いくらなんでも、と口元に笑みを浮かべつつも眉を下げている様はご主人様にじゃれたことをゆるく叱られた子犬のようである。しかし、ルルーシュは気にも留めていないようだった。

「ひどいなあ。大馬鹿者っていうのはちょっと…」
「でも本当だろ? 猫の件でもそうだったしな」
「う」
「体力があるからって、無茶ばっかり平気でするんだよ、こいつ。生傷絶えないしな。まったく、後先考えないって言うか。そんなやつを馬鹿と言わなくて誰を馬鹿と言うんだ」
「馬鹿馬鹿ってルルーシュ……君、それ口癖になってない?」
「そうか? でも事実だし、問題ないじゃないか」
「ルルーシュ、それはないって…それに猫の件は僕だけじゃなくてルルーシュも無茶してたんだし」
「あれは俺に任せろって言ったのにお前が」

 ふたりで間の置かないやり取りを始めたのを、ひとり蚊帳の外で「ふうん」と目を丸くさせながら得心がいった表情をさせているのはリヴァル。両手を後ろで組んで息を漏らすように、論点がずれ妙なところに飛び火し始めやり込められているスザクと容赦なくスザクの無謀さを連ねているルルーシュに声をかけた。

「ルルーシュとスザクって本当に仲いいよな」

 ぴたりとふたりが止まる。
 スザクがきょとんとした表情でこちらを向いた。少し驚いているようだった。

「え、そうかな」
「だってルルちゃんが俺以上にこんなふうに話すやつっていないもん。他の相手とは当たり障りのない世間話ばっかしてるし」
「やっぱりルルーシュって猫被ってるんだ」
「被りまくりよー」
「リヴァル」

 嫌な雲行きを感じたルルーシュが遮るようにねめつけたが、完全にスザクのほうを向いているリヴァルにはダメージひとつ与えられなかった。当のリヴァルは興味津々と目を輝かせ始めたスザクに得意げに話を続けようとしている。

「それなりに気があるようにないようにふるまうっていうのかな。他のやつらに馬鹿馬鹿言わないぜ? 俺の遊びにつきあってくれるあたり、不真面目だけどなー。授業中の居眠りはしょっちゅうだし平気で授業サボるし、成績だって、んないいわけじゃなくせに…羨ましい話、女の子にもてちゃうんだよなー…適当に牽制しとくから特定の彼女はできないけどさ。皆、ルルーシュを遠巻きに見てるってわけ。観賞用ってのもあるらしいぜ? 性格はああだけど見た目はこうだからねー」
「あー……もてそうだもんね、ルルーシュ……」
「ずるいよなあ、ルルーシュ……でもルルーシュって案外鈍いんだよな」

 恋愛感情云々だけでなく、とリヴァルは付け加える。

「はあ? 何言ってるんだお前! っていうかもうその話はいい!」

 心外だと言わんばかりにルルーシュはその発言に牙をむいた。だが、ふたりともルルーシュの剣幕に気づかないのか気づいているのか彼をよそに置いてふたりで盛り上がり始める。
 スザクなどそうだそうだと何度も頷いている。ぴしりとルルーシュの額に青筋が浮かんだ気がしたが、スザクを責めるよりもリヴァルの口を塞がねばならなかった。実行できていないが。

「ルルーシュってけっこう抜けてるんだよね。抜け目なさげなんだけどさ。ものすごく気を遣うかなあと思ったら、案外気づいてなかったりするんだよね」
「スザク! もうその話はいいって言ってるだろう!」
「だよなー。え、もしかしてルルーシュって昔からそうなの?」
「うん。けっこう」
「うわー。ルルーシュって昔の話してくれないから気になるなあ」
「リヴァル!」
「あっ。聞いてくれよスザク、この間お前がいないときになんてさあ」
「え、なになに?」

 そうやってスザクがリヴァルのほうに身を乗り出したときだった。
 まるで冷凍庫から生まれたような冷気がひやりと衣服越しに伝わり、あれ、とスザクがリヴァルの後ろを見れば背中に黒い影を背負い、目を爛々と輝かせたルルーシュが立っていた。しまった、とスザクの口は固まる。

「リヴァル……? お前、どうしてもその話を続けたいらしいなあ?」
「えっ、ちょっ、いてっ。いたたっ、いつっ」

 リヴァルもスザクに続いて気づき、振り返ろうとしたがその前にこめかみにルルーシュの握りこぶしが当てられる。そしてそのまま強くぐりぐりと押さえつけた。ぎええとリヴァルの叫び声が上がるが、ルルーシュはなおさら力を強めることしかしない。目下のお仕置きするべき人間はリヴァルだが、唖然としてふたりを見ているスザクにも当然火の粉が飛ばないわけはない。ルルーシュの鋭い視線が銃撃のようにスザクに飛んだ。

「スザク! お前も悪乗りするんじゃない!」
「だ、だって、僕がいない間のルルーシュのことが知りたいと思って…」
「これ以上俺の前でその話題を続けることは許さない。リヴァル、お前は今日俺と遊びたくないんだな、ああ、ああ、わかったよ」
「いたっ、いつっ。うわーごめん! ごめんってばルルーシュ〜。いて! すんませんっ。ルルーシュ様、ほんっとうにこのとーりですから!」
「謝り方に誠意が篭ってないんじゃないか?」
「いえいえ、本当に反省しておりますゆえ、お許しください〜。どうかお慈悲を…!」

 哀れっぽい声を出したので、ルルーシュは一応手を離してやった。
 いてえとリヴァルはそこで唸っている。
 ルルーシュは腕を組んで仁王立ちし、フンと鼻を鳴らした。当然の報いだ。

「もう二度としないと誓うか」
「………ああ!」
「嘘付け。間が怪しい」
「…人間にはさ、忘却曲線というものがあってだね」
「じゃあ、忘れる間もないくらい言ってやるよ」
「ぎゃああ! ルルーシュ〜!」
「ルルーシュ、も、もうその辺で……」
「フン、仕方ないな。リヴァル、唸ってないで、もう行くぞ! せっかく生徒会の仕事だって何もない放課後なんだ」

 鞄を背にやって、幾分か尊大なルルーシュはすたすたと教室から出ようとした。後ろではリヴァルが俺が唸ってるのはルルちゃんのせいだろ〜とぶつぶつ言いながらも彼の後をついていっている。
 しかし、そこでスザクがルルーシュに声をかけて彼の歩みを止める。

「あれ、二人とも、どっか行くの?」
「……当たり前だろう。学校は終わったのにいつまでもここにいてどうする」
「あ、うん。そうだけどね……二人で、遊ぶの?」
「そうそ。ルルちゃんが久しぶりに乗ってくれてさー。ゲームしようと思って」
「あ…そっか……」

 スザクはルルーシュのほうに伸ばしかけた手を途中で止めて、きゅっと握った。
 呟いた声は明らかにいつもより小さく、目に分かるぐらい、彼は残念そうに肩を落としている。常日頃明るい彼にしては珍しい、とルルーシュは目を細めてその様子を見た。
 そしてそういえば、と気がついた。

「スザク、お前も何もなかったら来いよ」

 スザクと会ってから何故か当たり前のように彼とも一緒に遊ぶような気になっていた。そういえばまだ彼を誘ってなかったのだった。
 スザクはぱっと顔を上げた。ハの字だった眉が今は驚いてあがっている。

「…え?」
「スザクもゲームできる? けっこう難しいんだけどおもしろいんだぜ。ネットで今すんげえ流行ってんの!」
「ぼ、僕もいいのかな」
「当たり前じゃないか。用事がないなら来いよ。歓迎する」

 ルルーシュが微笑を乗せて、彼の元へ手を伸ばした。ルルーシュの表情は明るい。珍しくスザクとも遊べるかもしれない、という期待に満ちた顔だった。しかし誘われている当人は何故か困ったようにふたりの顔を交互に見て、やや顔を伏せる。

 あれ、とルルーシュはそこで違和感を覚えた。

 何でだろう。
 何で、彼はこんな顔をしているんだろう。

 しかし気づくことはできてもその理由と原因は思いつかなかった。

「あれ、用事ある?」

 ここに来られたってことは今日軍務はお休みなんだろー?と、リヴァルの緊張感のない声がルルーシュの耳を通り抜けた。

「……リヴァルはいいの? 僕が来ても」
「え? 何で。いいに決まってるじゃん。ユーザー増やしたいし」
「それが目的か」

 ルルーシュが呆れたように目線をリヴァルにやると、彼は図星を指されたことを誤魔化すように乾いた笑い声をあげた。

「普及したいだけですって。話ができるやつが増えたほうが俺も楽しいしさ」

 なあとスザクに気安げに声をかけると、彼はそこで顔をもう一度あげた。
 ルルーシュがじっとその顔を見たときには彼はいつもどおりの人の良さそうな笑みを浮かべているだけだった。
 まるで先ほどの顔が嘘のようだった。
 でも嘘じゃない。ルルーシュは確かにスザクの表情がかげったのを見つけた。それは、もちろん誰だって落ち込むことはあるんだからスザクが鬱々とした表情をすることがあっても仕方がないと思うのだけれど。
 けれど、理由を問い詰めるのは何故かはばかられた。
 スザクはルルーシュの思いに気づいた様子もなく、にこりと微笑む。

「じゃあ、遠慮なく」
「おう! この楽しみを共有しようぜ!」
「ったく、調子いいな。リヴァルは…」

 多少ルルーシュの中で引っ掛かるものがあるものの、わざわざ雰囲気を壊す必要はないと思い、彼はスザクのかげりを今は置いておくことにした。そしてそのままの調子で三人は教室を抜け、他愛もない話をしながら階段を降りる。
 そしてその途中でルルーシュはようやくはたりと気づいた。

「………待て」
「何?」

 痛む頭のためにこめかみを押さえつつ、先に下に降りていたスザクとリヴァルの不思議そうな顔を迎える。ああ、と自分の迂闊さをこころの中で嘆息しながら、ルルーシュは二人に告げた。

「…部屋は変更。スザクかリヴァルの部屋だ」
「何で?」

 不審人物が部屋に生息しているから。

「ちょっとパソコンの調子が悪いことを思い出したんだ。修理に出すつもりでいたの忘れてた」

 とは無論言えるはずもない。ちなみに不審人物とは言わずもがな、ルルーシュにギアスを与え、勝手にルルーシュの部屋に転がり込んできた居候ピザ女もといC.C.のことである。C.C.を追い出してという手もあるにはあるが、彼女を説得して部屋から出すのがまた面倒な手順だ。特にスザクに彼女のことが知られたらあとでフォローするのが大変なのは目に見えている。鋭いスザクのことだ、何かしら―たとえばゼロのこととかたとえば黒の騎士団だとか―感づかれるかもしれない。無用なクライシスは避けねばならない。

「へーへー。そんじゃ、どうする?」

 ルルーシュの言い訳はさして二人に不審がられず受理された模様だった。ほっと胸をなでおろすルルーシュ。リヴァルはスザクと顔を合わせている。

「スザクのところはパソコンある?」
「あ、うん。最新式のじゃないけど、あるよ」
「大丈夫、古いOSでも機能できるやつ、だったと思うたぶん」

 というわけで満場一致―三人だけれど―でスザクの寮部屋に決定したのであった。