これは確かある日の昼下がり。
女の子の高い、可愛らしい声が小鳥のようにさえずっていた。
「やっぱりルルのイメージは黒かな?」
「そうねえ。確かにルルちゃんのいつも出してるオーラは黒か寒色系の色よね」
「俺は俺は?」
「リヴァルは…お調子者だから緑」
「あ、言えてるかも」
「緑ー…? 俺もルルーシュみたいな色がいい」
「似合わないことはないけど、性格のイメージカラーの話だしね」
「会長は金色ですね!」
「あら、そう? そんなにゴージャスかしら」
「イメージぴったし」
「じゃあ、スザクくんは?」
「え、僕?」
今まで大して口を挟むことなくアーサーとねこじゃらしで戯れていた彼に突然お呼びがかかって少し驚き、思わずねこじゃらしを取り落としてしまった。途端、アーサーがそれを加えてどこかに飛ぶように駆けていってしまう。
あ、と追い縋ろうとしてももう遅かった。アーサーの姿は生徒会室から消えうせている。
残念でした、とミレイ会長が笑った。シャーリーらが「邪魔しちゃってごめん」とすまなそうな顔をしてきたのでかまわないという意味でにこりと笑い返した。
「うーん………オレンジ?」
「黄色? いや、それもなあ」
スザクを会話の輪に入れて、もう一度さえずりが始まった。しかし当の本人は意見を提示することも出来ずに、スザクのイメージカラーを考えてくれているシャーリーやリヴァルの顔を交互に見つめるのみだ。
「……白、かなあ?」
シャーリーが首をかしげながら、白、と呟くと。
「あ、それかも!」
「優しいし、でも頼りになるし、純粋そうだし。スザクくんって白だなあ」
「ふふ、ルルちゃんと対ね」
「正反対に見えるのに、すごく仲がいいよね、ふたり」
「反対だからこそ、ね」
「っていう話をしたんだ」
「……どういう経緯でそんな話になったんだ」
「うーん…スピリチュアルカラーの話になってね。最近、シャーリーがはまってるんだって」
ああ、と紫紺のひとみを持つ、白雪姫のように透き通る白磁の肌の佳人は的を得たと頷いた。手に持っていた本の頁を細く多少骨ばった綺麗な指先でぺらりとめくる。
とにかく何をしても絵になる人だった、このルルーシュ・ランページという人は。
たまの休日にルルーシュの部屋へ遊びに来たスザクは、向かい合うルルーシュの整った顔を見てこそりと感嘆の息をもらした。
さすが皇族。くさっても―そのような言い方をしたら語弊はあるが―皇族。おそらくは幼い頃から叩き込まれたであろう所作のひとつひとつが優雅だ。いくら成長してがさつになったからとはいえ、立ち居振る舞いはそう簡単には変わらないものだ。
たまに同じ世界にいるとは考えられないぐらい、繊細で、うつくしくて。そう、たとえば硝子玉のような。
「で?」
「へっ」
ぱたり、とルルーシュは本を閉じた。そして丸テーブルの上にそれを放るように置く。ぽすん、と音が鳴った。
「それで、お前はどう思うんだ」
アメジストが何かを企んでいるように笑っている。
けれど、問われている当人は突然話が振られて先が見えていない。目をきょとんとさせたスザクにルルーシュはだから、と続けた。
「だから、俺が黒とかお前のイメージは白とか」
お前はどう思うんだ、と問答を楽しみはじめているひとみはそう問いかけていた。
「……えー……」
「なんだ? 不満そうだな」
「僕は…ルルーシュって、黒…より、白いイメージがあるからなあ」
「………は?」
こいつは、この期に及んで何を言う。
がくりと思わず肘をついていた腕が机からずり落ちそうになった。そのせいでランページ兄妹の―主にルルーシュの妹のナナリーの―世話をしてくれている咲世子さんが用意してくれた紅茶が零れそうになる。零れず、無事だったが。
「ルルって小さい頃からこうと決めたら一直線だし、頑固だし、妙なところで世間知らずだし、すれてないし」
「……馬鹿じゃないのかお前」
「え? でも、自分でも思い当たる節あるだろう?」
思い当たる節と言われても……多少はあるが(頑固は認めてもいい)とにかく白なんて言われたら困る。いったいこいつはどういう目で自分を見ているんだ!と大きな声をあげたい気持ちをおさえ、睨みつけるに留めて、代わりに低音を出した。
「…とにかく、俺は白じゃなくて黒だからな」
「白と黒と言われたら、白寄りかなって話だよ」
「……俺はそこまで綺麗に生きてない」
何かに耐えるような、噛み締めるようなそんな言い方がスザクの耳についた。
それはそうだろう。誰だって傷つかずに生きていたわけではない。ルルーシュのような立場にいる者なら、なおさら。
「それなら僕だって白じゃないよ。七年の間に僕だって変わったからね」
「ああ、そうだろう。子どもの頃の白だと思うし、お前の理想なんか白すぎてどうしようもないけど、お前自身はどっちかって言うとくろ………」
黒い、とルルーシュのことばは続くはずだった。
けれどすべてを話す前にルルーシュがぴしりと石像のように固まる。その固まり方も綺麗だなあとスザクは目を細めながら愛しそうに笑んだ。
ちなみにちゃんと、スザクにそのことばは届いているのだが。
「あ、もしかしてそれを言いたかったの?」
「………ちっ、違う」
「やだなあ。それなら僕の答えなんか待たずに言ってくれたらよかったのに」
「だから、違うと」
何故だか嫌な予感がして、ルルーシュは後ずさった。否後ずさったのではなく、椅子を引いて身を引いた。
しかし、完全に身を引く前にその手が誰かの手に掴まれる。
誰かとは言わずもがなである。
ルルーシュの白い指先を、硬い皮膚が撫でた。何て滑らかで、細い手だと彼の手に触れるたびにいつも思う。ひんやり冷たい、護るべき者の手。
スザクはすっと目を細めた。
やや強張り始めた手を、ゆっくりと、ゆっくりとなで上げる。這うようなそれに、ルルーシュは口を閉じることで声をもらすことを避けた。温度差が、緩やかに消えていく。
「…スザク」
「相変わらずすべすべだよね、ルルーシュの手」
「……はなせ」
黒と白。
子どものころは、きっと誰もが余計な色のついていない白だった。
けれど静かな悪意という汚泥はこの世界を生きることによって静かに沈殿していき、そうしてやがてひとを暗闇に変えていく。息苦しさに喘ぐから息継ぎを求めて、以前の自分が持っていたはずの白を無意識の内に探す。自分の中にはもう生まれないと知っているから、他人に。
きっと自分は、もう汚れきって黒いんだろう。
だから世界に、汚れなき白を求める。他人の持つ白を護りたくなる。
これ以上、黒を欲したら何も―比喩じゃない―見えなくなってしまうから。
ルルーシュは自分のそれよりは澄んでいて、うつくしい。
彼だけは、なんとしても、“この世界”から護らなくては。
自分が残りのすべてを受け持つから、ルルーシュは次の新しい綺麗な生きやすい世界で笑っていて。
「スザク、はなせって」
「減るものじゃないんだから」
「減る。俺の中の何かが確実に」
だから離せと頬をほんのり赤らめているルルーシュにスザクは自分にできる限りの笑顔を浮かべた。