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これは喜劇

 人の一生は、あまりにも短くて、脆い。そして後悔した時にはすべては終幕である。

これは喜劇


 勝手知ったる風情で彼がそこへ立ち入った時、ちょうど部屋の主がパソコンに向かっているときであった。彼とはつい最近再会したばかりのほとんど他人に近い状態なのだが、七年前のあの短い時間にすべての時間が凝縮されたような濃密な時を過ごしたふたりはまったく他人という雰囲気を見せなかった。そう、たがいにたがいが幼きころと違っていても、そのような突けば突くほどたがいがたがいではなくなってしまう問題に頓着することはなかった。たとえ表面上でも。
 ルルーシュと黒髪の彼の名を呼べば、彼は瞬間、びくりと肩を竦ませてかたりとマウスから手を離した。

「驚いた」
「あ、ごめん。驚かせた?」
「もっと気配を出せよな」
「と言われても。自分では普通だったんだけど」
「音もなく忍び寄るっていうか……存在感はあるくせに」
「あはは。軍人だからね、癖になってるのかも。ごめん。たしかにあまり気分はよくないかな」
「…別に、気分が悪いってほどでもない。驚いただけだ」

 でも、ごめんね、とスザクはもう一度素直に謝った。人のいい眉の形を下げると、ルルーシュが別にいいんだと首を振って茶化すように微笑むとスザクも茶目っ気を含ませて微笑み返した。
 それからスザクは気安さで身を乗り出し、彼のパソコンが置かれている木の触感に近い素材で作られた机に手をついて、パソコンの画面を覗き込んだ。きれいなスクリーンが煌々と映し出されている。スザクの碧の眼球に明るいスクリーンが映った。

「何を見ていたの」
「ニュースだよ。ネット配信のものだけどな」
「ふうん。最近は物騒な事件が多いから…あまり、読んでいて気分が良いものは少ないよね」
「物騒っていうより、思いっきり危険だろう? 黒の騎士団、とかな」

 ひゅん、とパソコンが電子音を立ててあるひとつのシーンが映し出された。ニュース動画を配信しているところで黒の騎士団の特集を組んでいる動画がぱっとスクリーンを埋め尽くす。女性のアナウンサーが通るアルトで黒の騎士団のゼロについてその特徴を述べているところであった。全身黒づくめの男、ゼロ。体格から言えば男。特殊な変声機を使っているせいで、声紋をとれず年齢は不詳。その統率力から言えば、二〇代、三〇代とも予想される。まったく正体不明の男である。だが、演説力に優れ、輝くカリスマ性を持ち、極めて優秀な頭脳を持ちうる彼は希代の反逆者であるとも言われている。ブリタニアは総じてこの反逆者を即刻排除せねばならない旨もちらりと告げていた。だが、いわゆるマスメディアの娯楽要素の強い内容であった。嘘とも真実ともとれない。人々の口に上り、くすくすとさざめき笑いが漏れるような、そんな話だ。
 スザクの眉が寄った。ひとみはやや剣呑を帯び、口元はきゅっと引き締まる。

「見ていたら、だめだよ。君はブリタニア人だ」
「忌々しいことにな」
「ルルーシュ、国を馬鹿にしたらだめだ…どんなことがあっても君はブリタニアの人間なんだから」
「ふん。いっそ日本人に生まれたかったよ。お前みたいに、頑強な体を持ってな」
「ルルーシュ!」
「とはいえ、確かに言ってもしようがないことだから止めにしよう。今ここで俺たちが言い争うのはバカみたいだ」
「…そうだね。あ、ほら、その動画はもうやめ」
「止めないね。俺が俺の好きなものを見て何が悪い」
「ルルーシュの教育に悪い」

 かちり、とルルーシュの手に自分の手を重ねて、スザクは勝手にウィンドウを閉じた。

「おい!」
「それよりももっとおもしろいことをしようよ」
「お前は俺の保護者か。…それにおもしろいことってなんだよ。まさか鬼ごっこか? お前とやるのは死んでもごめんだ」
「うん。それは可哀そう」
「……出て行け」
「冗談だって、ルルーシュ」

 手近に置いてあった某ピザ店のおまけのぬいぐるみをぼすりとスザクのほうへ投げつけると、スザクはこちらがイライラしてくるような気の抜ける微笑みを浮かべながら難なくキャッチする。ぎろりともう一度睨みつけると、スザクは降参とでもいうように両手をあげた。
 そうして彼は一歩ルルーシュに近づいた。彼が一歩近付くと、彼のフレグランスの匂いがさらりと香ってきたので、ルルーシュは我知らずなぜかこころが騒いだのを感じた。軍属のものは余計な匂いをつけたりはしない。よって、フレグランスは彼自身の香気からである。

「それに僕は君の保護者ではないけど、友達だよ。君の理解者でいたい。だけど、やっぱり危険なことを知ってほしくないんだ」
「…傲慢だよ、おまえの」
「傲慢でかまわない。君が傷ついてほしくない。たとえ君自身が君を傷つけようとしていても」

 ぬいぐるみを机に置いてから、スザクはひとみを伏せてルルーシュの細い手首にそっと触れた。

「変だよ、お前」

 ルルーシュはぽつりと告げた。

「昔はずいぶん個人主義だったのに」
「そうかな? あ、でもそうだったかも」
「かもじゃないくらいだ。このガキ大将」
「んー…大将は大将だけどね。………あんまり友達っている友達、いなかったな」


 大人の視線に囲まれてそだった。
 常に年齢以上のことを求められ、気づいた時には子どもは子どもという免罪符を持っていることを悟っていた。無邪気にいられることができなくなっていた。それは必然だった。だから、必然として彼は周りの子供の群れの中でひとりだけ浮いていた。


―ガッコウなんて馬鹿ばっかりだ。うるさくて辟易する。どうして俺とこいつらが同列なんだ。

 吐いて、吐いて、吐いた。周りが泥を投げ付ける前に、泥を投げ付けた。それで相手がおびえようが怒ろうが泣こうが知ったことではなかった。
 彼は大人である前に子どもであった。深い感情を抑えることができぬ子どもであった。普通の子どものようにわかりやすい形で甘えたりしないが、常にだれかに感情をぶつけ、目を細めている子どもだった。彼はだれかに自分のいら立ちを見せ、それに対して相手が自分に何か感情を返すことをこっそり望むような矮小な人間であった。それでしか自分の価値を自分で確認することはできなかった。彼は周りが自分を認識しているのか区別ができなかったのである。
 そのことに気付いたのは、あの、夏。
 憎むべき対象、感情を吐露する場所を作ってくれた白い人間。


 細い手を握った時、力を知った。
 ああ、自分はこいつより力がある。
 圧倒的な差であるのに、彼は立ち向かってきた。
 しかし、彼は自分の名誉のために立ち向かってこなかったのである。
 スザクは初めて、自分のために自分の力を使わぬ人間を見た。
 最初は険悪だったが互いを真の意味で許しあった時、自分に微笑みかけてくれたあの彼を。あの笑顔を。あの声を。
 スザクは生涯、忘れはしないだろうと、思った。

「わかってるよ……だから、俺は、お前を知ることを許されたんだから」
「? 何か言った?」
「…いいや」
「……まあ、とにかく僕は君を守るから」
「そういうのは女に言えよ、まったく。恥ずかしい奴だな」
「どうして? 友達だって守りたいよ」

「…それじゃ、俺じゃなく、ナナリーを守ってくれよ」

 もちろんだよ、とスザクが笑いかけようとした時、なぜか彼は指先がぴりりと痺れた気がした。
 ぞくりと腹の底が冷える。
 どうしてだろう。
 スザクは微笑みを張り付けながら、目の前で穏やかに笑んでいるルルーシュをひたと見つめた。

「俺じゃなく、ナナリーを」

 ナナリーをと少しだけ語気を強めるルルーシュに、スザクは声に出さずにこくんと頷き返した。

「もち、ろんだよ」

 聞き返すべきだったのかもしれない。
 どうして、そんなに必死なのかと。
 口元は笑んでいる。なのに、ひとみはものすごく冷たい。万年雪のように降り積もった冷たい感情が、いまそこに姿を現したかのようにそのひとみは新しく光り輝いていた。

「よかった」

 そう言って、ひとみを逸らした彼といつまでも視線を混じり合わせていれば。








「好きなんだ、と、君に」


 告げたかった。
 なんて、コクピットの中で、涙がこぼれそうになるのを堪えながら言うこともなかったのだろう。
 目の前で最悪のシナリオが描かれている。仮面の奥で紅いひとみを横たわらせている、破壊の創造主が眼下に燃える世界を眺め続けている。そして、彼を殺すことが、スザクの使命。彼の敬愛する主を奪った、彼の憎むべき至上の敵。
 これは、きっと喜劇だ。